教えのやさしい解説

大白法 723号
 
五一の相対(ごいちのそうたい)
 五一の相対とは、日蓮大聖人の御入滅後、本弟子(ほんでし)六老僧のうち、日興(にっこう)上人と五老僧(日昭・日朗・日向・日頂・日持)との間に生じた法義・信仰上における正邪の相違をいいます。
 これは、日興上人の『富士一跡門徒存知事(ふじいっせきもんとぞんじ)』や、また日興上人の命を受けて書いた三位(さんみ)日順師の『五人所破抄(ごにんしょはしょう)』に詳説されています。それらの相違点を挙げると概(おおむ)ね以下の通りとなります。

 五老僧の謗法と日興上人の正義

 一、本迹(ほんじゃく)勝劣一致の問題
 法華経には始成正覚(しじょうしょうかく)の釈尊が説いた迹門(しゃくもん)と、釈尊の五百塵点劫の成道を説いた本門(ほんもん)の二門があり、そこには垂迹(すいじゃく)と本地(ほんち)の勝劣があります。その上で天台大師は、迹門も本門の開顕によって本門の中の迹門となれば同じ一味平等の妙法であるとし、「本迹異(こと)なると雖(いえど)も不思議一」と釈して迹門の一念三千を説かれました。五老僧は、大聖人の教えはこの天台の教義をそのまま踏襲(とうしゅう)したものとして本迹一致を主張したのです。しかし、日興上人は、天台は薬王菩薩の後身(ごしん)として迹門を面として弘通され、大聖人は上行菩薩の再誕(内証本仏)として末法に本門の肝要の妙法五字を弘通されたことを示されます。そして、
 「本迹既に水火を隔(へだ)て」(御書 一八七七n)
と本迹勝劣を論じ、五老僧の本迹一致の邪義を破折されたのです。

 二、本尊の問題
 大聖人御入滅後、南部の地頭波木井(はぎり)実長は、日向(にこう)の教唆(きょうさ)もあって釈尊の一体像を造立しました。日興上人は、それを止めるために幾度となく教誡された上で、それでもあえて立像仏に執着し帰依するならば、上行等の四菩薩を添加するのが至当(しとう)であるとして一体仏を否定されました。するとそれを聞いた他の老僧やその門徒たちは、至るところで四菩薩の造立を始めました。
 これらの愚行に対して日興上人は、一体像は小乗の仏より劣り、末法の機根からすれば本尊としての利益はないこと。また、四菩薩添加の真意は、一切の造像を停止するための一時的方便(ほうべん)であることを御指南されています。そして、大聖人所顕(しょけん)の妙法曼荼羅御本尊こそが末法適時(ちゃくじ)の御本尊であることを仰せられ、大聖人御本意の曼荼羅御本尊を軽視する五老僧を破折されたのです。

 三、方便寿量助行・題目正行と一部五種行の問題
 大聖人の常の御所作(ごしょさ)は、助行として方便品・寿量品を読誦され、正行として題目を唱えられていたことは紛(まぎ)れもない事実です。ところが五老僧は、如法経(写経)や一日経(大勢が集まり、一部の経を一日で書写すること)などの五種行を修していました。
 日興上人は、五種の行は法華経に説かれたところではあるが、それは正法・像法時代の摂受(しょうじゅ)の行であること。末法は一部読誦を専(もっぱ)らとせず(方便品・寿量品を読誦し)、ただ妙法の題目を唱え、折伏を行ずることが末法適時の行法である、と破されています。

 四、神社参詣を許すや否(いな)やの問題
 五老僧は、現当二世の所願を祈るために信徒の神社参詣を許しました。
 日興上人は、『立正安国論』の正意(しょうい)に基づき、一国が謗法であれば善神はことごとく社(やしろ)を捨て去り、かわって悪鬼神が乱入して災いを起こすのであるとして、神社参詣を禁じて許しませんでした。

 五、日蓮が弟子と天台沙門(しゃもん)の問題
 五老僧は、大聖人を天台の余流(よりゅう)であるとし、自らの奏上(そうじょう)に「天台沙門」と称して国家の長久(ちょうきゅう)を祈願しました。
 日興上人は、自らの申状(もうしじょう)に「日蓮聖人の弟子」と称されており、「天台沙門」と称する五老僧を歎(なげ)かれています。そして謗法の僧等に与同(よどう)して国家の長久を祈る五老僧を糾弾(きゅうだん)されています。

 六、御書尊重(そんちょう)不尊重の問題
 大聖人はその御在世中、信徒によって漢文体、または仮名文字(かなもじ)を使って御指南されましたが、五老僧は、大聖人を天台の余流と考えていたために、大聖人の仮名書きの消息文よりも天台の漢籍を重視していました。そして、仮名書きの御書を大聖人の「恥辱(ちじょく)を顕わす」ものとして漉(す)き返しにしたり、焼却をして、御書の重要性を軽視したのです。
 日興上人は、大聖人は末法適時の教法を説くために相手の機情(きじょう)を鑑(かんが)みられて、漢字、あるいは和字をもって教化(きょうけ)を施されたのであり、それらの御書はすべて末法の聖典であると尊重されました。また十大部を選定すると共に、大聖人所立の仏法が世界に流布する時には、それら各国の言葉に翻訳(ほんやく)されることも仰せです。

 七、本門の大戒と一向持戒の問題
 五老僧は、天台が用(もち)いた梵網(ぼんもう)経・瓔珞(ようらく)経等の四十八軽戒を受持すべしとしたようです。日朗(にちろう)などは自分の弟子を比叡山で受戒させました。
 これに対して日興上人は、大聖人の正意たる法華本門の大戒(三大秘法の受持)に立って、爾前(にぜん)迹門の戒に執着する五老僧を破折されています。

 ま と め
 日興上人は、『日興遺誠置文(にっこうゆいかいおきもん)』に、
 「富士の立義聊(いささか)も先師の御弘通に違せざる事」(同 一八八四n)
と、御自身はどこまでも大聖人の正法正義を護持されてきたことを宣(の)べられ、そして今後、大聖人の三大秘法に関する法門、教義、化儀(けぎ)、その他の一切が、大聖人の御指南、御弘通にいささかの相違があってはならないことを誡(いまし)められています。
 日蓮正宗の源流は、まさに五一の相対をもって仏法の正義と邪義を明確にお示しくださった日興上人の謗法厳誡・破邪顕正の御教導にあります。
 私たち法華講は、この日興上人の清流に浴することのできた誇(ほこ)りをもって、いよいよ折伏弘通に精進していきましょう。